‘被災地支援・復興支援’ カテゴリーのアーカイブ
気仙沼視察 その3
気仙沼二日目。
夜中の大雨と土砂災害警報がうそのように晴れ渡りました。
ホテルの窓からも
着々とすすむ
工事が見渡せました。
3年半前の
がれきの山にかわってかさ上げの土の山。
整然とつがっていく新たな道路
まちづくりが進んでいます。
階上にある気仙沼復興協会では
ボランティア方々のオリエンテーリングを一緒に伺いました。
この日は愛知県の高校生と東洋大の学生、個人参加の方たちで
海岸清掃、町歩きなど予定されていました。
震災を伝えることや、
震災から学ぶこと
ボランティアの受け入れ、地域とつなぐことなど
復興協会の役割も多様です。
行政が復興のハード面だけでなく、
こうしたソフト面を担う団体にもきちんと財政支援していくことは
重要だと思います。
被災地への復興は、交付金はじめまだまだ地方任せにしてはならないと考えます。
多くの方が避難したにも関わらず
想定を超える津波に多くの方が
亡くなられた杉の下地区に伺い、慰霊碑に手を合わせました。
復興協会の奥山さん、三浦さんが
当日のようすをお話してくださいました。
すぐちかくの向洋高校は
皆さんが4階まで避難して
助かった校舎が震災遺跡として
残すことを検討しているそうです。
校舎の中に車がながれたまま残っているそうです。
岩井崎をのぞむ
明治の国文学者落合直文の生家
煙雲館に伺い、鮎貝さまからお話を伺いました。
震災の時の津波被害はまぬがれ
往時の姿を伝えています。
江戸時代の回遊式池泉庭園は
今年庭園フォーラムで
全国の庭師の皆さんの手によって
作庭当時の姿を取り戻したとのこと。
座観の間から歴史的お庭と
岩井崎はじめ真っ青にひろがる海と両方が眺められます。
全国から国文関係の研究者がおいでになり、
折々には短歌の会も催されることなど
お聞きできました。
風が吹き抜ける縁側から見える海は素晴らしく
建設される防潮堤がこの海までのびてくると
この遠景も白い防潮堤ばかりで
海を見ることができなくなるのかと
複雑な思いがしました。
楽しいお話と冷たい茶菓のおもてなしをうけ
あっという間に時間が過ぎました。ありがとうございました。
お別れした直後、山へ走る天然記念物のカモシカを見ることができました。
視察の最後は気仙沼の基幹産業でもある漁業のようす
再建された魚市場を訪れました。
、
観光ボランティアガイドの武山会長から丁寧な説明をいただきました。
国の特定漁港でもある気仙沼の市場は
高度衛生設備を持つ先進的な市場として整備されました。
三浦の三崎魚市場も今後、同様な設備へと整備されます。
ちょうどカツオの水揚げに間に合いました。
市場の屋上からは
整備された港と、たくさん並ぶ漁船を眺めることができます。
まだまだ最盛期の6割ということですが、
昨年のサンマの水揚げでは日本一だったそうで、
気仙沼の漁業の復興はうれしいことです。
昨日、さんまの出船があったそうで
これから秋はサンマのシーズンで、さらに気仙沼も活気づくことと思います。
最後は南町の復興商店街でお昼とお買い物、
ささやかな経済支援です。
今回の視察は
横浜市からの派遣職員として
気仙沼でがんばっている山本さんに大変お世話になりました。
緻密な計画とお手配で二日間とは思えない
さまざまな角度から気仙沼を学ばせていただきました。
大変お世話になりました。
とくに現地でも多くの方々にあい、直接お話を伺い、
意見交換ができました。
改めて感謝申し上げます。
気仙沼視察 その2
復興の進む街並みを見て回りました。
復興住宅の南郷住宅は
かつての南気仙沼小の跡地です。
入口には小学校の門柱が残されていました。
居室は2階からで
1階は駐車場や物置に
消防の活動スペースやかまどベンチなど
防災の工夫が随所に見られます。
打ち上げられた第18共徳丸があった鹿折地区は
新たなまちづくりでかさ上げが進んでいます。
見晴らし台の高さまで浸水したことがわかるようにプレートが。
台の上からは
いくつも積み重ねられた土の山
かさ上げと整地が進むようすが
よく見えます。
また、
震災の被害の写真と
かさ上げの広報はじめ新たな街づくりのパネルが
掲示してあります。
市場前にあった
河北新報の建物はすっかり
改装され、
図書館と教育委員会が入っていました。
2階近くまで浸水の記録が内部に残るということで
お邪魔したところ
白幡教育長にお目にかかることもでき
視察のお礼を伝えることができました。
AKBが東北支援でおくったAKBUSは
教育委員会で使われているようです。
三年半ぶりに気仙沼へ。
みなさん、こんにちは。きしべ都です。
3年半ぶりに気仙沼に行ってきました。
前回は被災後1年経とうかという冬に伺いましたが、
今回は
被災から4年をすぎた現状を伺いに行きました。
気仙沼は震災後1.5mも地盤沈下した分をふくめて
かさ上げ工事を進めていて
あちこちに土の山が積まれていました。
まずは、気仙沼市役所にて、
市議会の熊谷議長よりご挨拶いただき、
大変恐縮しました。
お忙しい中、ありがとうございました。
その後、
小松教育次長はじめ浅野副参事、菅原副参事、岩槻学校教育課長補佐の教育委員会の担当の方々から
市内の学校の環境整備の計画など生徒数や統合の実際、課題など現状について、
震災後の子どもの心のケアについて、
子どもの状況や心のケアのための支援策や人的配慮など手厚く行われていることを確認しました。
震災の前後の防災教育の変化や震災の経験を活かした災害の対応など伺いました、
学校の再開からこれまでのとりくみに大変なご尽力とご苦労を感じました。
今後の学校統合など
県内でも少子化や地域の偏重など
共通する課題についても伺い、意見交換させていただきました。
防災学習シートは
小学校、中学校の段階におうじて
ESD(持続可能な開発のための教育)の視点でつくられていてます。
教室だけでなく、家庭や地域でさまざまに活用できるのではと思います。
お土産にいただき大変感謝します。
気仙沼では集団移転のための高台から
たくさんの縄文時代の遺跡、遺物が出土し、調査がおこなわれています。
埋蔵物の調査、整理の拠点のひとつなっているのは
震災後、閉校になった浦島小学校です。
学校の中は掲示物などそのままでした。
壁には
以前から同じ名前の学校ということで交流の合った横浜の浦島小学校の寄せ書きが張られていました。
ふと見渡すと廊下には
浦島小以外にも
全国の学校からの激励の寄せ書きが貼られていました。
被災地を思い、何とか励まそうと
ていねいに心を込めて書かれた励ましのメッセージに
胸が熱くなりました。
閉校したからこそ、そのまま貼られて残されていて
見ることができました。
また、担当の原田さん、永濱さんから
埋蔵品について詳しく説明いただきました。
縄文時代から
マグロ漁をしていたことが
掘り出されたマグロの骨からわかるとは驚きでした、